クイック目次
母の働き方
私たち4人兄妹が幼い頃、母が働いてた時期がありました。
仕事で、保育園のお迎えがで遅くなることが時々あり、不安な気持ちになっていたことを覚えています。
実家は、典型的な昭和の亭主関白の父、献身的に尽くす母という家庭でした。
父は働き者でしたが、家のことは手伝いません。
子育てと仕事、そして家事。
今思うと、母の負担は、計り知れないです。
子どもが4人となると、病気やケガをしたりと、仕事もままならいことが多かったと思います。
子どもが、ちょっと病気するくらいで休んでいたら、仕事になりません。
母は、私が病気の時は、様子を見ながら、仕事に行ったり、休んでくれたり。
仕事が休めない時は、一人で寝ていました。
学校を休めるのは嬉しかったけど、一人で寝ている時間は怖かったような・・・。
仕事から帰宅する母は、私の好物を買ってきてくれ、いつも以上に私を気にかけてくれることで、兄妹への優越感に浸っていました。
また、普段の生活でも帰宅した時に母がいないと、とても残念な気持ちになり、帰りを心待ちにしたものです。
そんな母が、完全に仕事を辞めたことが一度ありました。
私は、「明日から明るい生活が始まる°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」と喜びました。
家に帰れば、必ず母がいるという素敵な生活。
いい時期でした❀❀❀

そして、私が思春期に入ると、今度は家計が心配になったり、母の小言を面倒くさく感じるようなり、「もう働いていいよ。」と、自分勝手な発言をしてしまいました。
私たち兄妹が幼い頃、母は家にいて向き合ってくれ、その後も成長を見守りながら、定年退職になるまで働いてくれました。
現在、母親となった私。
以前の自分勝手な発言が、とても浅はかだったと猛省する日々です(-_-;)
変わらぬ母の姿勢、母としての軸、そして今。
私の記憶の中に、ゆっくりくつろいでる姿の母はいません。
仕事でいないか、家事をしているかです。
母と話がしたい時は、台所仕事をしている時に話をしていました。
〈母の傍で手元を見ながら話していたので、魚の下ろし方は、見よう見まねで下ろせるようになっていました!〉
夜遅く、食材の下処理をする音が、布団の中にいる私にも聞こえ、母を感じながら眠りにつくのが、とても心地よかった。
私にとっては、母を感じれ、安心できましたが、母はずーっと働いていました。
夕食時も、家族に一番美味しい状態で食べてさせたいと、刺身で鮮度が大事なものは食べる寸前に下ろし、揚げ物は、父の食べるペースを見ながら揚げていました。
まるで、お店のコース料理のように。

母が一緒に食卓を囲んだ記憶は、薄っすらしかありません。
夕食終わりに食卓に座り、少量のご飯を食べ、また家事を再開する日々でした。
私が高校生の頃は、祖母(母にとっては義母)も近所に引っ越ししてきて、週2回ほど夕食に招いていました。
自分本位な祖母にも、誠実な態度で尽くし、まさに「嫁の鏡」でした。
そして、母の口癖は「感謝しなさい」でした。
どんな状況でも、「感謝」を忘れないのは良いことと分かっていましたが、目に見えるものが全てだった未熟な私。
「いい人だけでは報われない」という見方しかできなかった私は、母の姿勢に苛立ちを覚えることもありました。
本当の意味を理解したのは、恥ずかしいですが・・・最近です。
親戚で集まった時、肩書きのことで、夫の両親を持ち上げる発言が出たことがありました。
夫の両親(義父母)は公務員です。
仕事での功績もあります。
私は、母に気を遣っていました。
母は、家庭を中心に生きてきたので、正社員でもなく、肩書などもありません。
母の存在を、肩書で表すのはおかしいのですが・・・。
家庭的でなかった義母が、仕事の功績で褒められていると、私は面白くない。
話をしていても、母は卑屈になることもなく、とてもにこやかでした。
私たち兄妹が健やかに成長し、それぞれ家庭を持ち、幸せでいることは、母が育ててくれた結果だと気づきました。
子どもが4人いる私。
子育てしていても、自分に自信がなく、何か形になるものを求めて、勉強していたのかもしれません。
でも、母の存在の大きさに気づいた時、頑張りすぎなくても大丈夫と思え、余計な力が抜けていきました。
私の子育てには、母の教えが根幹にあります。
我が家の子どもたちも、健やかに成長しています。
順調な今があるのは、全て母のおかげです。
どんな時も、向き合ってくれた母。
❀ 偉大な母 ❀
そんな母も最近は、亭主関白の父に対して、少しづつですが、自分の気持ちを言えるようになったみたいです。
たまに父へ異見したりして(ˉ▽ˉ;)…
今までの母の我慢に比べたら、微々たるもの。
心に貯めてた悪い物を吐き出して、楽に、楽しく過ごしてほしい❀
母のワガママ、大歓迎です!!
亭主関白の父
幼い頃の私にとって、父はとても大きく、怖い存在でした。
仕事一筋で、昭和の亭主関白を絵にかいたような家庭。
父が座ると、父がその時望むものが出てくる。
ご飯はもちろんのこと、おやつの時間も然り。
父が仕事から帰ってくると、私もそれに合わせてお茶とお菓子を出したものです。
無口で真面目で気難しく、父の考えが絶対で、思春期の頃は、家が息苦しい時期もありました。
よく観ていた海外のホームドラマ。
親子で話し合うシーンを、よく見かけました。
私も、あんな風に父と話がしたかった・・・。
私の気持ちを知ってほしかった・・・。
父は、幼い頃に病気を患っており、ツラい時期もあったようです。
いろんな思いを抱えて成長し、父なりにベストを尽くしていたんだと分かっていても、父の本心を知らない。
今から徐々に、聞き出せたらと思っています。
そんな気難しい父でしたが、私が子どもを出産後は、とても子煩悩なおじいちゃんとなりました。
お喋りもするし、孫に冗談を言うことも(*^-^*)

定年退職後は趣味(??)なのか、いろんな勉強しています。
父が勉強を続ける姿に、今の私は影響されているのかもしれません。
家事も手伝うようになり、母と支え合って生活している姿を見ていると微笑ましいです。
普通の平凡な家庭。
家族を思いやること。
簡単に手に入るようで、難しい。
この普通で、平凡が、どれだけ良いことか。
【足るを知る】
普通が最も良いと気づかせてくれ、与えてくれた父と母。
私たち4人兄妹を全力で育ててくれ、とても感謝しています❀

