2026年 学科試験結果報告
お久しぶりです❀
今年も、一級建築士の学科試験が無事に終わりました。
実は昨年、試験前にスケジュールを詰め込みすぎて体調を崩してしまった苦い経験があります。
そのため今年は「まずは体を大切に」をテーマに勉強を進めてきました。
ありがたいことに体調を崩すことはなかったものの、今年は活発な末っ子くんが部活で大活躍!!
そのサポートも加わり、振り返れば昨年以上の怒涛の日々。
ブログを投稿する余裕もないほど、目の前のことに全力投球の毎日でした。

独学で挑んだ2回目の学科試験の結果は……全教科、基準点止まり、【不合格】でした・・・
( ̄∇ ̄;)
去年は散々な結果(基準点もいっていませんでした💦)だったので、基準点まで採れたことは、私にとって前向きに捉えることができました。
今回も某資格学校のテキストを購入し、模試を受け、分からない部分はYouTubeの分かりやすい解説動画にお世話になりながら、楽しく学習を進めていました。
ですが、やはり独学の壁は高かったです。
過去問をやり込んで挑んだものの、近年の試験はフレーズの言い回しが少しずつ変化しており、本番や模試ではそれだけで手が止まってしまう難しさがありました。
朝5時に起きて出勤前に2時間、帰宅後に1.5時間。休日は6時間。
家事以外の時間はすべて勉強に捧げ、ひたすらコツコツと積み重ねてきましたが、時間の確保という現実的な厳しさも痛感しました。
50歳を迎えて見えた「人生の残り時間」
試験直後は落ち込んでいるにもかかわらず、「あと1年勉強すれば、次は受かるかも!」という思いが芽生えていました。
けれど、今年50歳の誕生日を迎え、半世紀という自分の人生をふと振り返ったとき、心の中に小さな問いが生まれたのです。
「私は、この長い勉強時間の先に何を求めているんだろう?」
遠方に住む親の老化、知人の死、そして自分自身の体力の変化。
若い頃には感じなかった「時間は有限である」という事実が、リアルに心に迫ってくるようになりました。
私が本当にやりたいことって、なんだろう?
- 大切な人たちと、温かく楽しい時間を過ごすこと
- もっといろんな知識を身につけ、その知識で誰かの役に立つこと
「一級建築士さえ取れれば、私の人生は大きく変わるはず!」
そう信じて、勉強・仕事・家事に追われる毎日を必死にこなしていました。
けれど、目に見える評価や資格、収入の増加を追い求めるあまり、私は「今ここにある幸せ」や「自分自身と向き合う時間」を後回しにしていたのかもしれません。
私は、誰に評価されたくて、誰に自分の存在を証明したかったんだろう?
そして、以前もこんな気持ちになったことが・・・??
久しぶりに読み返した、去年の学科試験不合格後のブログ記事。
1年前もこの気持ちだった・・・。
私は同じことのくり返しをしていました💦💦
子どもたちの後ろ姿に見た『いつかの巣立ち』と親としての私の成長
上2人は自立し、今は下2人と夫、そして私の4人暮らし。
そんな我が家に夏休みが訪れ、下の子2人が一人暮らしをする長男のところへ泊まりに行くことになりました。
最寄りの駅まで送り届け、ホームへ向かって歩いていく2人の後ろ姿。

「大きくなったなぁ……」としみじみ思うと同時に、胸の奥から幼い頃の小さかった姿が重なって思い出され、いつか本当に全員が巣立っていく未来が想像されました。
その瞬間、胸を締め付けるような突然の寂しさが、私を襲ったのです。
一緒に見送りに来ていた夫が、清々しい顔でこう言いました。
「これで誰にも邪魔されず好きなことができるね!良かったね!」
悪気のないその一言に、私の中で感情が溢れ出しました。
「子どもは邪魔なんかじゃない!」という激しい苛立ちと、自分でも止められないほどの涙。
必死で4人を育ててきて、子どもたちが少しずつ自立していく。
親としての重い責任がフッと軽くなる感覚は、確かに誇らしく、嬉しいものでもありました。
けれど、いざ子どもたちのいない静かな家に戻った時、今まで「母親」として私を支え続けてくれた一番大きな軸がすっぽりと抜け落ちてしまったような、どうしていいか分からない戸惑いに包まれたのです。
高校生になる末っ子はまだ進路が決まっていませんが、「あと3年くらいは一緒に暮らせるかな」とどこかで思っています。
けれど、高校から寮に入る子もいる時代。
もし末っ子が「家を出たい」と言い出したとしても、動揺せずに「頑張れ!!」と笑顔で背中を押して送り出せるよう、私自身の心づもりをしておかなければと感じています。
子どもが自分の足で立ち、広い世界へ羽ばたいていくことは、親として一番喜ばしいこと。
でも、その裏にはこんなにも切なく、愛おしい寂しさがあったなんて——。
ふと、遠方に暮らす自分の両親のことが頭をよぎりました。
「あの頃の両親も、きっとこんな気持ちで私たちを見送ってくれていたのかな……」
子育ての終わりが見え隠れする今になって初めて、両親が抱えていたであろう深い愛情と切なさに気づかされました。
まだまだ私が経験したことのない「親の心情」がたくさんあって、改めて両親への深い感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。
子どもの巣立ちは、正直とても寂しい。
けれど、この寂しさを噛みしめ、子どもを誇らしく送り出す準備をすることも、私という人間の大きな成長なのだと思います。
「母親としての私」から「私自身の人生」へ。
少しずつグラデーションのように変化していくこの時間も、大切に愛おしんでいきたいです。
『いつ楽しむの?』夫の一言で気づいた、私の『いま』と感謝の気持ち
4人の子どもたちを育てる毎日は賑やかで幸せでしたが、それ以上に「~しなければならない」という責任感と重圧のほうが勝っていました。
子どもたちの学費、突然の病気、自分たちの老後、そして遠方の両親のこと……。
押し寄せる未来への不安が大きすぎて、自分が本当にやりたかったことはずっと後回し。
そんなある日、夫からこう聞かれました。
「ねぇ、いつ楽しむの?」
その言葉が胸に強く突き刺さり、「え……私、いつ楽しむの??」と心の中で自分自身を問い詰めました。
「残りの人生は今までより短い。私はこの限りある時間を使って、何を目指して頑張っているんだろう?」
私の中の第一優先は、やっぱり「大切な人と繋がった上での自分」でした。
体調の不安や学費、老後の心配が消えたわけではありません。
でも両親も家族も元気で、美味しいごはんを食べられ、働ける場所がある。
そんな「今すでに恵まれていること」に気づくと、自然と感謝が湧いてきます。

子育ても、気づけばあと数年。
一級建築士への道も含め、これからは未来の不安や焦りに縛られすぎず、「今」という時間を大切にしながら、私にとって「ちょうどいいバランス」で歩んでいきたいと思います。
10数年前、学ぶことを始めた私。
その時から「50歳の年に人生最高の自分でいたい」という目標を掲げ、それに向かって頑張ってきました。
今現在、目に見えて大きく成功しているものは何もありません。
でも、考え方・世の中の見え方が全く違っています。
「こういうことか~!!」と、今の自分が、別の意味でなりたかった自分になれているのに気づきました。
頑張り続けた結果、いつしか身についていた【私という軸】
また新たな「自分らしい人生」をスタートさせたいという、ワクワクした気持ちでいます
☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆